「ぬけまいる」 朝井 まかて を読みました。
「抜け参り」とは、江戸時代に伊勢神宮にお参りするのをいい、「御蔭参」「おかげまいり」といった呼び方もされています。「一生に一度はお伊勢さま」と江戸時代の人々の憧れであり、又実際にもかなり多くの方が伊勢参りをしています。
クリナップの「江戸散策」というサイトによると、
本居宣長(もとおりのりなが)が著した『玉勝間(たまかつま)』には、寛永2年(1625)閏4月9日より5月29日までの50日の間、合わせて362万人がお参りしたと記されており、享保3年(1718)の正月元旦より4月15日までは、合わせて42万7500人とある。国学者本居宣長は伊勢松坂の出身だ。
また、『御蔭耳目第一』によれば、文政12年(1829)の遷宮の年、3日間の神事があったとき、118万人の参詣人が群衆したという。
お蔭参りは、江戸時代を通して流行した社会現象である。それは不思議なことにほぼ60年周期で発生した。大きな山は、慶安3年(1650)、宝永2年(1705)、明和8年(1771)、文政13年(1830)が知られている。特に文政13年のお蔭参りは規模が大きく、数百万人といわれ、その頃の日本の人口を約3千万人とすれば、何と6人に1人位は参拝したことになる計算。
とあります。
「抜け参り」は家族にも黙って伊勢参りに行くことで、奉公人である子供が奉公先にも言わず伊勢に向かったともあります。柄杓を持って伊勢に向かえば、お金がなくても泊ったり食べたりもその街道の方に面倒をみてもらえたようで、伊勢参りの人を助けることは神様の徳が高まると考えられていたようです。
奉公先でも伊勢参りから奉公人が無事戻ってきたら叱ったりせず迎えないといけない、というように考えられていました。
ある日お使いにいったままこつぜんと消えてしまうのですから、今の常識から考えるとびっくりしますが、なんとなくおおらかな、それでいて不思議な風習だと思います。
小説のなかでも主人公の女性三人が家族にも内緒で伊勢に向かう様が書かれており非常に興味深かったです。
先日から老人ホームや病院向けのプロモーションビデオを制作しており、京都の老人保健施設で徘徊検知センサーなどを撮影させていただきました。認知症などで一年間に行方不明になる人が一万人を超えている、といったニュースも目にします。徘徊検知システム導入前は徘徊して施設の職員が探しまわった・・といった苦労話も職員の方からお伺いできました。自宅での場合も、夜に外出してしまい、パトカーで戻ってきた・・といった話も何度か耳にしたことがあります。
江戸時代は「抜け参り」としてある日突然姿を消していた人が多くいた・・・
徘徊ではなく自分の意思で旅に出て新しい環境の中で・・・
ほんの少し前の日本。
ちょっと考えてしまいました。