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その立場にならなければ見えない景色
少し恥ずかしい話ですが、4月のはじめ、丁度桜が散り始めた頃に庭で骨折しました。
犬を2匹飼っていて、その犬のプールにと数年前に購入したプラスティックの水槽?がありました。
例年は雨水が貯まらないように裏向けて置いているのですが、昨夏にさぼったようで上向きのまま庭にありました。
雨水が一杯貯まり、なんとボウフラが見つかりました。
「蚊が大量発生したら大変だ」
ちょっとずつ器で水を出せば良かったのですが、横着モノの私は、
「これくらい傾けたら捨てられるわ」
と水槽を持ちあげました。二回成功して水が8割ほどになりました。
「よっしゃー!」
と三度目に持ち上げようと力を入れた時に、不気味な大きな音がしました。
「ボキー」
かなり大きな音でその瞬間折れた、と思いました。
そのまま立てなくなりそっとその場に座り込みました。
自力では立てません、というか怖くて試すこともできませんでした。
田舎の家で庭は結構広く、家の玄関までは何十メートル?
「おとうさあん」と呼びました。何度も。
それでも届かないので、腕の力でちょっとずつ進むことにしました。
やっと玄関が見えてきて母のいる洋間に近づいたので
「おかあさん」と大きな声で叫んだら、奇跡か耳の遠い母に声が届き、緊急搬送してもらえました。
その時一つ目の気づき。
「数年前に母が一番奥にある座敷でこけて大腿骨を骨折した時、家に誰もいなかったので、ちょっとずつ足を引っ張って玄関まで這っていき、電話をして助けを呼んだ時の気持ち。すごく心細かっただろうな、痛かっただろうな」
私は幸いにもMRIで判別できる程度の第三腰椎骨折。ボキっという音は関節の音だということでした。
コルセットをしてそうっと家でテレワークをしています。床に落ちたものが拾えない、自分で靴下がはけない、というみっともなさですがなんとか2週目も過ぎて、定期健診で通院の日を迎えました。
JRで「東福寺」へ向かうためJR奈良線の某駅に。
改札に入って息をのんだのが、京都行ホームには階段を上って降りる必要があるということ。
下から階段を見上げて二つ目の気づき。
「高齢者社会といいながら階段しかない公共の乗り物ってどうなん!!」
母はこの階段をゆっくり手すりを持って上がり降りしていたのですね。
私は、階段段差は低かったのでなんとかなりましたが、東福寺駅も階段があり、エレベータもありましたが場所がわかりづらくそこに行くまで結構な距離を歩く必要がありました。
京都駅で奈良線に乗るのにも階段。
京都駅のような観光都市の駅でもエスカレータは少なく非常に不便です。
とても高齢者の方が安心して楽しく使える駅ではありません。
これは早急に対策をしていただきたいことだと痛切に感じました。
帰りは「タクシー+近鉄+京阪」で、階段を使わずすべてエスカレータを使って帰りました。
「その立場にならないと見えない景色」
一緒に高齢で軽度身体障害の母と歩いていても、ゆっくりその後ろをついて歩いているだけでわからなかった。これはこれから高齢化社会を迎える中で大きな課題です。
介護をする人は介護される人の心にどれだけ寄り添えるかが重要なポイントです。
同じ事がほかでもあります。
・健常者と病気の人。病気にならないと中々わからないことがあります。
・高齢者と若者。高齢者は今の若者が、若者は高齢者がわからない。
・上司と部下。管理者と労働者。お互いに別の苦労がわかっていません。
・男と女。これも永遠の謎でしょうね。
・国と国。
今紛争のあるウクライナとロシアもそうかもしれません。
立場が変われば見え方も変わり、「まあ、そういうこともあるか!」となれば
色々なトラブルもなくなるのではないでしょうかね。