スタッフブログ
セキュリティハウス愛
私事ですが、私は今年60歳 還暦を迎えました。
大学を卒業してそのまま竹中エンジニアリング株式会社に就職し、その中で「セキュリティハウス・ネットワーク展開」の前進である実験店舗「セキュリティハウス東京」を荻窪に作るのに、雑用などお手伝いをするところがスタートです。
ある日、上司や先輩3名が会議をしていてそのお手伝い。KJ法でポストイットに「セキュリティハウスのコンセプト」を先輩上司が記載したのを関連付けて模造紙に貼る・・というのが初めて「セキュリティハウス」という言葉に接した時でした。
そのシーンは40年近く前のことですが、その時に自分が着ていた制服の柄と共に鮮明に覚えている光景です。「おもしろそうだな」というのがあって、なんかこのプロジェクトの仕事ができないか?と感じながら行なっていました。
1982年(昭和57年)荻窪にセキュリティハウス東京設立。
その展開をわくわくしながら横で見ながら受発注業務や売上資料作成をしていました。
1984年(昭和59年)より全国展開を開始。その時から当時の上司が社長に就任したことで、念願のセキュリティハウス・ネットワークの販売促進など企画業務を行うことができるようになりました。
まだ入社して数年の未経験者でしたので壁にぶつかり、ぶつかりしながら色々な帳票やカタログなどを作っていきました。
気が付けば、入社して37年。定年退職をして、今2カ月弱。同じ株式会社セキュリティハウス・センターの運営本部にてセキュリティハウスネットワークの販売促進・企画業務を実施させていただいています。
この仕事の楽しい所は、全国のセキュリティハウス・ステーション(加盟企業)の社長や社員の方との交流です。私が入社する前から取引のある会社も多く、ネットワーク展開を開始した当時からの会社では、創業者から二代目社長に変わるところもどんどん出てきています。その息子さんも小さいときから知っていて、
就任のご挨拶なんかが来た時には感慨無量。なんか親戚のおせっかいおばさんになった気分で嬉しいです。
定年退職の時には「これからもセキュリティハウス愛でセキュリティハウス・ネットワークの発展に尽力してください・・・」といったお言葉を色々な方にかけていただき、「セキュリティハウス愛」という言葉をシャワーのように一杯浴びました。
そうか、「セキュリティハウス愛」。
そこにセキュリティハウス・ネットワークの魅力があるのかもしれません。
防犯歴40年の業界の重鎮から、新人まで「お客様の安全・安心」を担う社会的な仕事。
「子供に胸張って説明できる仕事」をできる幸せと、全国の仲間との繋がり。
それがセキュリティハウスの、単に仕事を超えた魅力だと思います。
通常は同じ業界の販売店は競合関係になることが多く、「どんなところにこんなシステムを販売した」といった売れ筋情報や「こんな失敗をした」といった生の情報を地域の情報交換の場で発表するというのはない、というのが通信等の業界から参入いただいた会社社長のお話しです。
社長間、次世代間の情報交換も活発で、中には一緒に旅行をしたり・・といった親しいグループもあります。そういう「横の繋がり」が最も大きなセキュリティハウスの魅力だと思います。
「超防犯」は防犯を超えた総合的なシステム・・マネージメントや省力化・コストダウンなどまで提案できるトータルシステムのことを指す言葉ですが、「超ビジネス」。仕事だけの繋がりを超えた仲間作りを目指していきたいと思います。
今年1月にあった神戸ポートピアホテルでのセキュリティハウス懇親会の席で、
セキュリティハウス岡山の小野会長から大きな花束と共に、「同士だと思っている」との温かい言葉をかけていただきました。
その言葉と「セキュリティハウス愛」で、もうひと踏ん張り頑張りたいと思います。