昭和56年大学を卒業して防犯機器製造メーカーである竹中エンジニアリング株式会社の営業部に入社しました。
その後拡大するホームセキュリティ市場に対応するため、同社が販売施工会社のネットワーク展開開始の準備を始めた時からその業務に携わり、昭和59年1月より株式会社セキュリティハウス・センターの企画としてセキュリティハウス・ネットワーク展開を行う仕事にずっと従事しています。
企業の平均寿命は30年といった声も聞きますが、弊社はネットワーク展開を開始した時の多くの企業と現在もまだお取引をさせていただいています。其々の会社社長はもちろんのこと、最近では後継者であるジュニアが入社し、社長に就任されてきています。そうした加盟企業の社長はもちろんのこと社員・スタッフの方とも長く親しくさせていただいていることはこの仕事の一番楽しい部分であり、誇りです。
ネットワーク展開を開始した頃、当時の社長に言われた言葉があります。
「高島屋の包み紙のように、信頼ののれんを作れ」ということです。京都では高島屋の包み紙の贈答品はいい商品、というイメージがあります。それが「老舗のブランド力」だと思います。「さすがセキュリティハウス」と言われるようにというのが設立の時からずっとの目標です。
「防犯」というのは信頼を揺るがすちょっとした行為があっても今まで築いてきた信頼を根底から失ってしまいます。ですので、売り方重視。品格重視。売った後の保守重視。
売れればいい、といった考えを持たれている会社とは取引をしたくない。そういう部分には営業に対しても厳しく指摘します。同じ「セキュリティハウス」という屋号を使って毎日頑張っている仲間のためにも許すわけにはいかない、という思いからです。
又「セキュリティハウス」という屋号を名乗っていただく以上「防犯のプロ」でないといけない、という熱い思いがあり、研修用のマニュアル作成や各種研修会の充実を行ってきました。
「防犯のプロである」ということに拘り、まだ新人であった設立当初に元京都府警の刑事より泥棒の手口や心理を徹底的に学びました。
そうした研究から「泥棒の嫌いな環境を作る」、抑止力重視の自主機械警備システムのコンセプトが生まれました。自主機械警備システムのコンセプトは、加盟いただいている多くのセキュリティハウス様と一緒に作成し、育ててきたものです。